九頭竜大社からのお知らせ
対談「自然に帰り自分らしく生きるには」(後編)
令和3年7月10日(土) 「自然に帰り自分らしく生きるには」をテーマに、九頭竜大社 神主の大西正浩と歌手 相川陽介さんによる対談が行われ、Clubhouseにてライブ配信されました。
相川陽介さんは、世界30か国近くを飛び回って活躍されている歌手で、剣舞も生業としておられます。コロナ禍の世相のため現在は京都市内在住で、九頭竜大社にお参りいただいているご縁から今回の対談が実現しました。
相川さんは「偽りを捨て本来の自分を生きよ」を信条に、すぐれた感性をお持ちの方です。九頭竜大社の「奇蹟」「奇縁でもって人を引く」や「自然に帰れ」の教えにもお話はおよび、興味深いものとなりました。
その対談録(後編)でございます。
相川 奇蹟ねぇ。奇蹟の社ねぇ。そういえばローマ法王を頂点とするカトリック教会では、奇蹟を起こしていないと聖人になれない。
正浩 奇蹟を起こしていないと聖人になれない。もう少しお話しいただくとそれはどういうこと?
相川 カトリックでは会議があって、いろいろ手続きがあるけれども、そこで奇蹟認定がされると聖人になれる。たとえばジャンヌダルクが聖人になったのは、まあけっこう最近で西暦1920年くらいのこと。
正浩 ああ、そうなのですね。
相川 その奇蹟がすごい簡単で、触ったら目が見えない人が目が見えるようになったとか、歩けなかった人が歩けるようになったとか、分かりやすい奇蹟じゃないとだめ。
正浩 なるほど。
相川 奇蹟なんです。何かに勝ったとかではだめなんですよ。
正浩 いわゆる英雄ではだめ。奇蹟なんですね。
相川 そうそう。難病が治ったとかね。病気が治るような奇蹟は九頭竜大社ではあるのですか?
正浩 ある。よくある。それはよくある。
相川 あ~~~。
正浩 腫瘍が消えたとかよくある。
相川 ほ~~。腫瘍が消えた、ずごいっすね!腫瘍が消えた、は、奇蹟ですね!
正浩 ある。聞く。いはりますよ、そういう人は。もう持たない、年も越せないと言われていながらずっと生きておられる方もおられますし。それは本当にありますね。
相川 九頭竜大社に興味を持って話を聞こうとする人達の最大の関心事は「え?どうやったら私に奇蹟が起こるの?」ということやないですかねぇ。
正浩 ああ~。
相川 多分、多くの人達は、いろいろな神社を参ったりお祈りをしたりして、自分の望みをまず明確にしてると思う。「何かほしい。こうなったらいい。」ってある程度持っていると思う。願望は明確になっている。だけど、神頼みをしてなかなかそれが叶わないとか、奇蹟のようなことがなかなか起こらないとか、そういうことを思っている人も…いるのかな。まぁ、だけど、「奇蹟が起こってほしいな」と思っている人達は、ああ、そこでポジティブに考えなきゃと。「奇蹟が起こっているのに、ただ気付いていないだけなんだ。」「そうだ、自分が奇蹟に気付いていないだけなんだ。もっと感性を上げなきゃ。」「もっとちゃんとした祈り方をしなきゃ。ああ、あれが駄目なのかもしれない。」「もっとこうしたらいいのかな。そうしたら自分に奇蹟が起こるかな。」そんなことを思っているのかもしれない。どうやったら奇蹟が起こるのか自分に。大西さん、どう思われます?
正浩 。。。
相川 まあ、大西さんにはもう答えがあるのですけれどもね。冒頭の講話とかでもう言っているからね。
正浩 そう。言っているんだけれどもね。私は九頭竜大社の教えの「自然に帰れ」をやろうとするのだけれどもね。あれをやろうとしてゆけば、いいことが実際に起こるんです、私の場合は。無理を除き、明るく穏やかに、思いやりを持って、感謝の心でいれる、自然に帰った状態の時に、奇蹟が起こるの。
相川 私の表現では「本来の自分を生きる」ということね。
正浩 私の場合はですよ、素直に嫌いなことは嫌いやなぁと思うんです。でも、嫌いと思う人や事柄は基本的にわるいんじゃないです。自分の中にある何かに反応して嫌いだな、苦手だな、と思ってしまうのであって。たとえば食べ物でエビアレルギーの人っているじゃないですか。エビがわるいわけじゃないじゃないですか。
相川 エビわるくない!!
正浩 エビわるくないじゃないですか。エビが大好きな人だっているわけですからね、エビはわるくない。
相川 エビ!!
正浩 嫌いな人がいたってその人がわるいんじゃなくて、自分の心の中にある何かに反応しちゃっているのですね、きっと。それも多くの場合はその人のほんの一部分が苦手なだけ。自分の中にある何かをその嫌いな人があらわしている。私は、「ああ、私はああいうことが嫌いなんだなぁ、苦手なんだなぁ。」と素直に思うようにしています。でも「あの人がわるいわけではないんだなぁ。」とも思うようにしている。まあ、例外はあるでしょうけれども大概の場合は嫌いな相手がわるいわけではない。で、自分の「嫌い」に素直でいると、私の場合は自分の「好き」も見えてきやすくなるんです。私の場合、その「好き」なことで今やれることをやるのですよ。今、とりあえず現実的にやれることを。そうやってやっていくと、その先にいいことが起こるんですよ。私の場合は起こる。ちょっと想像を超えたようないいことが起こる。だから、私はそういう風にやっています。
相川 うん。私もそういうところありますね。
正浩 私は「自然に帰れ」という九頭竜大社の教えを、自分なりに「自分らしく好きなことをする」というように、ある程度そんな風にもとらえてやっていっているのですけれでもね。
相川 冒頭でお爺さま・開祖の予言についても触れられたじゃないですか。お父様が息子の正浩はどうかなぁ、と。「ああ、若い頃は苦労することもあるかもしれないけれども、いずれ自分の好きなやりたいことを見つけてやっていくよ。大丈夫だ。未来は明るいよ。」と言っておられたと。
正浩 はい。そこはもう私、開祖にはそういう未来が見えたのだと信じているのです。
相川 素敵な予言ですね。
正浩 そうですね。開祖は私の明るい未来を見てくれていて、それは本当に支えになっています。本当に感謝しています。
正浩 相川さんの「本来の自分」は、歌と剣舞と旅になられるのですよね。
相川 ですね。声のこと、武道のこと、今はコロナ禍だけれども世界を飛び回っているのが自然。自然なだけですよね、単に。私の場合、定住が不自然なだけ。
正浩 さっきのお話に出た根暗の人達はそれが自然なのだろうか。今は自然なのかもしれない。今、この時はそれが自然なのかもしれない。どうなのかな。
相川 根暗について思いを馳せる、の巻!!でも最近出会ったすごい人が、力があるし、自分の弱いところを見せることが出来る人。
正浩 ああ、〇〇さんのことですね。ブログでも自分の弱いところを結構書いておられますよね。
相川 認めてほしい、という気持ちがあることも認めているというところ。すごいなぁ、と。それはそうと、世の中にはいかに心に傷を負った人達が多いのかと。ところが私が出すメッセージは「偽りを捨て本来の自分を生きよ」と超上からですごくパワハラだから、そういう心に傷を負った人達には全く届かないと思うんですよ(笑)
正浩 結構きつく聞こえるものね。
相川 きつく言ってるしね(笑) 昔からそうなんですよね。無意識に言っても、相手にぶっしゅーと刺さっちゃうのよね。なぜか。だから、言葉をすごく選ぶようにしてきたけど、言葉を選んでいると言葉の力は弱まるからね。やっぱりもう魂、直球で、自分はいくほうがいいのかな、と。
正浩 ああ、それが相川さんのスタイルなのですね。
相川 でも極力、刀は抜かないつもり。何も言わない、関わらないほうがいい。刀が鋭すぎるじゃない。
正浩 助言は求めている人は受け入れてくれるけれども、そうでない人に言っても嫌われてしまうだけですものね。
相川 うん。余計なお世話はとにかくしないな。とにかく刀は抜かずに差したままでいよう。もとい。世の中には傷ついている人とか悩んでいる人がめっちゃいるのね。知らなかった、と思うくらいだけれども。親からいじめられた、とか、すげぇあるみたいね。結局、そういうのを理由にしちゃうのよね、悩んでいる人達は。だから自分はダメなんだっていう風に。
正浩 その「目に見えぬあざ」「心のあざ」を取り除いてくださるのが九頭竜弁財天大神様なのです。
相川 それは癒しですよね。
正浩 ああ、癒しともいえるかなぁ。
相川 私はボイストレーニングとかで4,000人くらいの人達と関わってきたけれども、心の癒しというのは果たしてその人達が生きているうちに出来るのかしら、と思ったのね。
正浩 ん?それはどういうこと?
相川 人間大体80年とか100年とか生きるじゃないですか。冒頭の講話でおっしゃっていたじゃないですか。人は生まれ変わっていると思う、と。前世でこんなことをしたからそのやり残しや課題をやるとかね。私もそう思うんですよ。人間は何回も何回も生まれ変わると思っていて。現世で生きているうちに結局クリアしない限りは次元を上がっていけないというかね。「使命」ってさ、人には「使命」があるのね。私は人の声を聞いたらその人の「使命」が見えるのね。その「使命」を相手に伝えるのだけど、「使命」と向き合うのって、しんどいのよ。
正浩 しんどいのですか、「使命」と向き合うのって。
相川 概ねそう。だと思う。
正浩 私なんて自分の使命は、「神主をやって九頭竜大社を継いでいく、お社を維持存続して発展させていく」なんて感じに違いない、と思っているのだけれども、相川さんが人の「使命」が見えるというのは、そういう風に見えるもの?
相川 「使命」は単純に命をどう使うか、だけ。
正浩 ああ、なるほど。つまりどういった職業でどんなことをやっていくとか、そんな感じでは見えないということ?
相川 職業も一つの命の使い方ですよ。
正浩 ああ、どんな風にその生を使うかというのが「使命」。
相川 「使命」はけっこう自分の意志でいけるんじゃない?「宿命」はもう定まっているんでねぇ。だから大西さんが言っている九頭竜大社に孫として生まれて神主としてやっていくというのは、それは「宿命」ですね、生まれもっているから。
正浩 ああ、なるほど。
相川 「宿命」は宿しているけれども、「使命」は自分がどう生きたいかですよ。自分が言っているのは「使命」の話だから、本人の意思でどうにかなる話。
正浩 「宿命」と「使命」を私、ごっちゃにしていたところがあったかもしれない。なるほど。
相川 「使命」はどう生きたいか。選べる。
正浩 私の場合は九頭竜大社の神主としてやっていくということは「宿命」だけれども、その宿命がある中でどう生きたいかという「使命」がある、そういうことですか。
相川 そうそう。持って生まれた才能も「宿命」だと思うけれどもその才能をどう使うかは自由で、やっぱり「使命」なんだと思います。
正浩 なるほど。
相川 「宿命」からは逃れられないから「宿命」を受け入れること。「使命」はどう命を使うかだから、使いたいように使うことが大切。つまり生きたいように生きる。それで、自分の才能とかを発揮するためには自分の得意なことをやったほうがいいし、好きなことをやったほうがいいし、いやなことはやらなくていいことだから、やらない。関わりたい人とは関わるけれども、関わりたくない人とは関わらない、エネルギーが落ちるから。だから大西さんのお話でもあったけれども「自然に帰れ」。明るく穏やかで自然に帰った状態でいれるような設定にするのがすごく大切。
正浩 うんうん。そうね。
相川 ただ、苦しんでいる人って、苦しい設定にしているものね。
正浩 それは感じますね!それはある。
相川 あれはちょっと設定を変えたら、と思うけど(笑) 本人からすれば、「いやこの設定が宿命なんです。逃れられないんです。」みたいな気分やね。それをやめたらいいのに。
正浩 それは思う時ある。なんか苦しい設定してはる人、おられます。いるいる。それは感じる。感じる感じる。なかなかそれを指摘は出来ないのだけどね、怒りはるからね(笑)
相川 そうなのよ。言うと怒りはるんよね。
正浩 怒りはるんですよ。そうなの。本人に受け入れる準備が出来ていたらいいけれども、そうでなかったら怒りはるんですよ。
相川 神様が「奇縁でもって人を引く」の「奇縁」というのがポイントかもね。タイミングというので、こうやって奇蹟の社・九頭竜大社にお参り出来たというのは、自分の中で準備が出来たということなのでしょうね。
正浩 うん、そうでしょうね。
相川 私の言葉でいうと、自分を偽ってしまう苦しい設定、本当はそうじゃない、本当はそういうのいやだなという設定を手放せる、手放せることが出来ているから九頭竜大社にお参りすることが出来る。
正浩 ああ~~~そういうこともあるのかもしれない。自分の中で準備が出来て九頭竜大社にお参りすることが出来て、だから奇蹟が起こるのかもしれないね。けっこう九頭竜大社にお参りするようになってすぐの時にいいことがある人が多いのですよ。
相川 そうなんだ~。
正浩 自分の中で準備が出来て、それで神様から奇縁でもって引いていただけて、だからお参りしてすぐに奇蹟が起こる、そういうことなのかもしれませんね、九頭竜大社の場合。ああ、そういうこともあるのかもしれない。「神は奇縁でもって人を引く」って。先ほども相川さんがおっしゃっていたタイミング、「今」というのもありますね。
相川 タイミングって大切ですよねぇ。人ってすごい悩んでいる時のほうが神に縋りやすいのかなぁ。
正浩 そうそう。特に最初のきっかけはそうかな。
相川 九頭竜大社にはいろいろな方がお参りされているでしょうけれども、人間世界で、現世で活躍されていて、神様を大切にされている人って、とても素敵だなと私は思うのですよ。
正浩 本当にいい仕事をするには、神様の世界からの力がないとよい仕事にはならないと私は思っているから。
相川 やっぱり運も大切だから。特に勝負の世界なんて最終的には運だから。
正浩 うん。そうね。
相川 神頼みで奇蹟が起こる九頭竜大社だからこそ、やっぱり「人事を尽くして天命を待つ」なのかなぁと思って。その「人事を尽くす」が苦しい苦労、努力とかじゃなくて、自分らしく偽らずに生きるということに対しての情熱だとか集中だとか、そうありたいのね。
正浩 うん。我慢ではなくて自分らしく生きるということですね。
相川 「人事を尽くして天命を待つ」となるとね、我慢や苦労が出てきてしまうことが多いのよね、私たちgiapponese(ジャポネーゼ)は。
正浩 そこは明るく穏やかに、自分らしくいかなくちゃ、ね。
相川 自分の偽りを手離すという作業はけっこう苦しい、自分の「使命」とか「宿命」とかに向き合うから。あと、自分の弱いところと向き合わなければいけないし。自分が本音で偽っていることを、本当は偽っているんだけれどもそれを他人に言われるとすごいムカつくようなこと、すごい苦しい、すごい痛い、ということと向き合わないことには本来の自分で生きられないように思うから。僕は苦しかったのよ。
正浩 自分を見つめて偽りを手放すのが?
相川 そう。競争心。自分の場合は競争心。人より優れていようという気持ちとか。俺はすごいんだぞ、という気持ちとか。裏を返せば、頑張ってないと自分はダメという設定。人より優れていないと自分はダメという設定。
正浩 そのままの自分が素晴らしい、ではなくて、頑張っている自分・人より優れていいる自分が素晴らしいという設定になっていたわけですね。
相川 そう。人より優れていない・出来ていない自分は素晴らしくない、という設定だったから。自己肯定感はむちゃくちゃ高いけれども、本当の意味での自信がなかった。
正浩 実績があるから自信があるではなく、何か成果を挙げるから自信があるではなく、そんなことは関係なく、そのままの自分に自信があるというのが本来の自信ですね。
相川 そう。僕の場合は、競争心を手放すということにかなり苦しんだね。そういうのを楽しんでやれたら、リラックスしてやれたらいいのに、と、いまだに思う。人は楽しいことならやりたいけれども苦しいことはやりたくないよ。
正浩 偽りを捨てるのは苦しかったわけですね。
相川 それなりに(笑)自分は苦しかった。だって向き合わなければならないんだもん。痛い。「自分に競争心があるんだって~うそ~やだ~」って。本気でいやだった。
正浩 そうだよね。私の場合はね、自分を見つめてゆくと、受け入れたくない自分がいるのね。そういう受け入れたくない切り捨ててしまっている自分を受け入れていくのが苦しい。でも、本当の自分に帰っていくには、そういう自分も受け入れていかなければならないんだ、と感じているの。
相川 今日のお話は楽しかったね。大西さん最初におっしゃっておられましたよね。自分が自力で出来ることなど微々たるものだ、と。
正浩 うん。無理なく自分らしく好きなことがやれている、自然に帰った状態でいる時に、自分を超えた神の世界から膨大な力が降りてくるんですよね。奇蹟がね、起きるんですよ。
ありがとうございました!!!