九頭竜大社からのお知らせ
2021年10月5日 公式ブログ
それが宿命なのですね
数年前の夕刻のことです。よくお参りなさるある女性の方が私にお話しくださいました。
「正浩さん。いろいろ本をお書きになっておられますよね。私も拝読して感銘を受けております。そこでお尋ねしたいのです。私には長年、本当に長年の間、ずっと解決できないでいる問題があるのです。このようなことについて、どのように考えたらよろしいのですか?」
この情景をよく覚えているのです。そこで私は何とお答えしたか。
お答えできませんでした。。ちょっとこのようなお尋ねに、その場で軽はずみにお答えするのは控えたほうがよいと思いました。ですので、しばらくお話をお聞きして…笑顔でお帰りになられた…そんな記憶がございます。
数年前のことを思い出して今、ブログに綴っております。今、このブログでお答えするならば、どのような答えになるかな、と。
「ああ、その長年の問題に向き合われることが、〇〇さんの宿命でいらっしゃるのですね。きっと、その問題を通して何かに気付いていかれることが、〇〇さんのカルマの刈り取りや心の器づくりになるのだと思います。その宿命を受け入れて、明るくお過ごしになってください。大丈夫。九頭竜弁財天大神様は全部お見通しで、いつも見ていてくださいますから。大丈夫。長い目でお考えください。大丈夫ですから。」
こんな答えになりますね(*^-^*)
「宿命」だとか「カルマの刈り取り」だとか、そんなお話になりますと「前世からの業縁」ということにも繋がっていってなかなか大変な話になります。だから、これまでこういった話はなるべく控えていました。
でも、最近特に思うのです。この「前世からの業縁」とか「宿命」とか「カルマの刈り取り」とか、そういったことを全く抜きにして今の人生を捉えることは出来ないのではないかと。
宿命があって人生の道筋が決まっているのだったら努力も何もあったものじゃないって、そういうことではありません。
「宿命がある中で、その宿命を受け入れて、自分が行くべき道を見つけて進んでゆく。」「宿命がある中で、その宿命を受け入れて、明るく穏やかに感謝の心を持って、自分らしく精一杯生きる。」そこにカルマの刈り取りや人生の意味があるのではないかと思います。
九頭竜弁財天大神様は、過去世、今世、未来世の三世を貫いて、人の「目に見えぬあざ」を取り除き幸いにお導きくださる奇蹟の神様です。「目に見えぬあざを取り除く」とは「カルマの刈り取り」にも通じると私は思います。
つまり、九頭竜弁財天大神様は「宿命」だとか「今世でのカルマの刈り取り」だとか「前世からの業縁」だとか、そういったことはすべてお見通しの神様です。そのようなことをすべてお見通しのうえで、人生を幸いに守りお導きくださるのです。「人が宿命を全うして幸せに生き抜けるよう守りお導きくださる奇蹟の神様」ともいえるかと存じます。
だから、「人」は、その宿命を受け入れて、明るく穏やかに感謝の心を持って自然に帰って歩んでゆく、そうである時に大神様から奇蹟を授かり、人生はより一層幸いに向かってゆくのです。
※カルマ‐前世での偏った思いや行動がいずれ自分に返ってくる。人はそのカルマの刈り取りをしながら生まれ変わりを繰り返し魂を磨き上げてゆく、という考え。