九頭竜大社からのお知らせ
2015年7月22日 講話
神の守護をたとえ話で(教主講話)
「お蔭をいただいた」という表現があります。なぜ「お蔭」というのか?
私は、人間にはなかなか分かりにくい場合もあるけれども、神様が巧に導いてくださる、だから「お蔭」なのだと思います。
たとえば、社長さんが新入社員を教育するときにこんなことをするそうです。
初めての営業。学校を出たての新人さんです。社長さんはこの新人さんを、本人には分からないように上手に教育されることがあります。
ある社長さんは、新人さんが初めて営業に出られるときに、先方の社長さんに前もって電話をされるそうです。
「今日○○といううちの新人がそちらに営業に伺うが、小さなことでもいいから何か仕事をやってくれないか」
新人さんはもちろんそんなことは何も知りません。ガチガチに緊張して営業に行って、初めて仕事をとることが出来ます。そんな新人さんに社長さんから一言。
「○○すごいやないか!そんななかなか新人が初めてで仕事をとってこれるものやないで。お前見込みあるな!」
これで新人さんは大喜び。自信をつけて大きく伸びてゆくきっかけをつかむそうです。
皆さま、いかがでしょうか。
この新人さんは「自分の力で仕事をとってくることが出来た!やった!」と思っているのだろうと思います。でもそうではありません。新人さんの分からないところで、社長さんが上手にやってくれているのですね。
神さまの世界、信仰の世界でもそうなのです。
願いが叶ったとき、うまくいったとき、成功したとき、「自分の努力で、自分の力でやった」と思いがちですがそうではありません。人間には分からないように、神様が巧に守り導いてくださっているのです。それを忘れてはならないように思います。
九頭竜大社のおみくじの一つに「目に見えぬ神の守護を知れ」とあります。もし、皆さま方がこのおみくじをひかれることがあったら、ぜひ何かを感じとっていただきたいのです。これはいいお言葉ですよ。「目には見えないけれども、人間にはなかなか分かりにくいけれども、神はあなたを守り導いているのですよ」そういう意味なんですね。
今回は「目に見えぬ神の守護」をたとえ話でおはなしさせていただきました。
皆さまどうぞよき信仰生活をお続けください。
九頭竜大社 教主 大西 正美